通天閣 エレベーターガールから見た通天閣の思い出
通天閣でエレベーターガールとして、設立当初から働かれて、通天閣の再建を間近で見られた経験を踏まえて、雑野さんのお母さんにもインタビューさせていただきました。
(雑野さん)
Q 雑野さんのお母さんが、エレベーターガールをされたという話でしたが、どういうきっかけでお仕事されることになったのでしょうか?
きっかけは、うちの親父と交際していたからです。
募集するときに、うちのおじいさんからすると息子の交際相手だし、というのがきっかけだったそうです。
Q エレベーターガールとしてお仕事をされていたときは、どういったお気持ちだったのでしょうか?
地元に通天閣のような高い建物ができて、そこで仕事をすることを誇りに感じていたし、楽しかったそうです。
それこそ来塔者はかなりすごい人数だったようです。
当時、円形エレベーターも初めてだったので、そういう意味でも注目されていました。
どこにでもあるような塔ではなくて、初めて尽くしのような塔で働くのも嬉しかったみたいですね。
本人からすると、たまたま、社長の息子と交際していたときっかけで始めた仕事です。
なので、図らずもやり始めたエレベーターガールですが、本当に誇りを持って働いていたそうです。
(ここから雑野さんのお母様にインタビュー)
Q エレベーガールとして働かれている時は、どういう気持ちだったのでしょうか?
通天閣ができて一番最初だったので、張り切っている感じがありました。
最初だから、粗相のないようにという緊張もあったように思います。
何もないところにできたので、誇りに思っている部分もありました。
(今でも色んな人に愛される通天閣)
Q 当時の通天閣はどのような様子だったんでしょうか?
その当時は、できてすぐだったので人が並んで整理をしなきゃいけないくらいでした。
Q おじいさんはどのような方だったのでしょうか?
おじいちゃん(義父)達が、通天閣を建ててくれなかったら今の新世界は無いと思います。
本当に立派な方やなと思います。
普通の人にもかかわらず、通天閣のような大きな建物を建てられたことは本当に凄いと思います。
Q その当時、おじいさんが語っておられたことは?
普通の人が通天閣を建てるような立派なことをする、そら苦労するやろうな。
エレベーターガールが必要ですってことで一番初めの時から働かせてもらいました。
あのおじいちゃんは地域の中でも役所に行くとしても、すごかったです。
顔が聞くと言うのは変な言い方ですが、区役所や警察とかいろんなところに行ったりと、
人の世話をあそこまでできる人はいないです。
今、90歳で、25歳から65年間新世界にいますが、あそこまでの方はなかなか見たことないです。
この子(雑野さん)は、おじいちゃんの血を引いてるなと思います。
保護司や民生委員をしているのを見ると、おじいちゃんと血が繋がっているんだなと感じます。
●インタビューの感想
雑野さんから見たおじいさんと、お母さんから見たおじいさんは同じ話なのですが、当時を直接感じた人にしか話せないものが伝わってきました。
今の新世界があるのも、2代目通天閣の設立を命がけでしてくださった雑野さんのおじいさんや、当時の尽力された人のおかげなんだということを伝えるとみなさん驚かれます。
通天閣があることのありがたみをヒシヒシと感じることができ、このような機会をいただけたことに感謝しかありません。