新世界で喫茶バンビを始めたきっかけとは(山口さんインタビュー)
新世界で有名な喫茶バンビを経営され、現在は、不動産オーナーとして新世界で事業を営んでおられる山口さんに、インタビューさせていただきました。
Q 新世界では、いつから事業を開始をされたのでしょうか?
私の母が、新世界にもともと住んで商売をしていた、難波にあったサウナのニュージャパンを商売していました。
会社は、2023年で67年目で、父は大学で造船関係をやっていて、新世界で商売し始めた。
喫茶店を始めたのは、昭和41年1966年です。
喫茶店を閉めたのは、平成18年2006年です。
ちょうど40年やっていた。
始めた当初は、喫茶店の草分け的な感じで、内装もその当時としてはモダン、商業デザイナーに頼みました。
Q 喫茶バンビは、どんなカフェだったのですか?
コーヒーの豆を自家焙煎して、コーヒーを出していた。
喫茶店自体が珍しい時代でした。
50年以上前にできて、営業時間が7時〜23時まで。
お正月も、お店は開けていました。
一番忙しい時は1000人くらい、いました。
パチンコが10時開店なので、待っている人に対してモーニングサービスをやっていた。
ズボラ屋さんから出てきたお客さんで道路が埋まって通れない時期があった。
ずっとお客が入っていて、
店を閉めてから仕込みしないと行けないので、従業員の数は1番多いときで20 人くらい。
カウンターの中だけでも3〜4人バーテンさんがいた。
忙しい時は、夜中4時頃まで仕込みして7時からスタート。
しかも、月に休みは、2回。(笑)
スポーツでサッカーをやってたので体力で押し切ってきた。
スポーツをやっていなかったら、続けてこれなかったかも。
Q そんなに人がたくさんいたんですか?
夜は、ずぼらやさんのお客さんが、出てきて道路が埋まってしまう位人が居たこともありました。
また、パチンコが多い時は、開店前のパチンコ屋を待っているお客さんがたくさん入ってきました。
Q 喫茶バンビでこだわりを持たれていた部分はありますか?
普通はね、自家焙煎って言ったら表に直焙煎というのを出す。
うちはそれをしてなかった。
UCCから豆買ってたけど、UCCの人が、コーヒー飲んだ時に、言われたのは
「はっきりもう好き嫌いがわかれます。このコーヒーはもう駄目な人は駄目、いける人は、中毒になるかもしれないですね。」
Q 辞めるきっかけはどのようなものだったんですか?
2006年頃は、何か喫茶店純喫茶もちょっと下火でした。
何か新しい道をみつけた方が良いかなっていうので、野暮なんですけども。
場所的にね,比較的いいところなんで。
家内も一緒にやってたんですが、体力的に厳しくなってやめようと思ったのがきっかけですかね。
Q お店をやめた時は?
やりきった感はあったかもしれない。
こんだけ忙しいとね、ある程度やったかなみたいなことがありました。
辞めるときはもうすぱっとスムーズにやめられました。
事業転換して、不動産賃貸事業でいこうと、きちんと次の仕事も決めて
、次の借り手も決まっていました。
喫茶店をやめた時は、本当に町も転換期だっと思います。
場所がいい場所なので、辞めた時には借り手も見つかっていたのはありがたかったです。
現在は、ゲームセンターになっています。
2006年当時、通天閣や動物園も人が減っていた。
天王寺公園がホームレスが多くて怖いというイメージはあったのかもしれないですが、
それだけではなく、町自体の集客力が落ちていたかもしれない。
<写真提供:新世界情報ブログ>
山口さんが不動産オーナーとして賃貸されている物件では、ゲームセンターがあります!クレーンゲームの専門店として、youtubeでも取り上げられるなど知るひとぞ知るゲームセンター 新世界に来られた際には是非、お立ち寄りください!
営業時間:平日13時~20時・土日祝11時~20時