世界中から人が集まる新世界のレトロなゲームセンター「かすが娯楽場」の歴史(小林店主 インタビュー)
今回は、新世界のじゃんじゃん横丁にあるレトロなゲームセンターとして、若い人や外国人にも人気なゲームセンターの店主の小林さんにインタビュー!
全2回の記事になっております!
今回は、今に至るまでの新世界でのお店の歴史についてインタビューさせていただきました!
Q 新世界でいつからご商売されていますか?
今に至るまでの経緯を伺っても良いでしょうか?
私も、生まれ育ちが新世界です。
今は、68歳です。(2023年8月時点)
おばあちゃんの代から商売をしていて、
ご飯屋(母方)と、中華料理屋(父方)の隣のお店のご縁で結婚しています。
料理屋をやった後、1959年頃にタバコ釣りゲームや雀荘、 卓球場などの遊技場を経て、 今のゲームセンターの業態になっております。
半分をゲームセンターをスタートしたのは、1972年くらい。
全部をゲームセンターにしたのは、1980年くらいかな。
私は実は一度、外で働いて24歳くらいの時に戻ってきた。
それまでは、証券会社で働いていました。
インベーダーゲームが社会現象になって、帰ってこいということで戻ってきた。
ただ、万博の後、その景気もだんだん下火になってきて、通天閣は人が登ってないような状態でした。
Q 新世界は労働者の街と言われることがありますが実際はどうだったのでしょうか?
それは間違いなくそうですね。
昔、鳶(とび)の給料明細を見せてもらった。
15日間、働いて、その当時で60万円と書いてあった。
やっぱり体はって働いてはる。
新世界は、欲望の街だなって思います。
美味しいもの食べて、飲んで、遊んで。
麻雀屋も多かったし。
映画館も、パチンコ屋もあったし。
あとは、新世界って串カツ屋や飲み屋のイメージがあると思うんですけど、実は甘味も結構あったんです。
見てもらったら、酒飲んで飯食って、その後に甘いものを欲しがるから甘味処があった。
今でも、その名残が残っている。
新世界には、甘味処が二、三件あったんです。
うちのお店は、遊ぶお店として、メダルをずっと置いてくれている常連さんがいますが、その人も今は10人位になりました。
Q 昔のお客さんの層で思い出はありますか?
若い子たちは、やんちゃで喧嘩もして、大変でした。
中学生の女の子がきたら始末におえへん状況でした。
その時に、怒鳴った声が。
今の合唱の歌声に生かされています。(笑)
でも、それが不思議なもんで、最近、声をかけてくれた男性がいました。
「おっちゃん。僕覚えているか?」
私は、すぐに答えました。
「お前の顔、忘れるわけないやろ。」
その男性は、昔暴れていた男の子だったのです。
子供を連れて、「迷惑かけたな。」と挨拶にきてくれたんです。
その子も、40代後半くらいになっていましたが、そうやって声をかけてくれるのは嬉しいですね。
Q 客層が変化してきたと感じたのはどのタイミングですか?
やっぱ、インバウンドかな。
中国の人も遊びにきてくれるし、どんどん外国人の方は来てほしいと思います。
この頃、北京語を話す人も増えてきました。
あとは、欧州の人や台湾の人も多いですね。
Q 若い人が増えて来たのはいつごろからですか?
コロナ後の方が若い人が増えてきた印象があります。
コロナ前は、そこまで目に付くようではなかった。
私の予想ですが、飯食うたらあかん、ビール飲んだらあかん。
コロナ禍は、それが、2-3年も続いたので、みんな遊びたくなったのではないかなと思います。
Q 今の新世界は、どんな町ですか?
今はありがたいことに、お客さんが一新してもうた。
もうちょっと英語を勉強しておけばよかった。
まさか、こんな風になると思わなかったな。
<写真提供:新世界情報ブログ>
新世界のレトロなゲームセンター「かすが娯楽場」はこちら!
<アクセス・営業時間>
大阪メトロ御堂筋線
動物園前駅1番出口より徒歩3分
JR環状線
新今宮駅東出口より徒歩5分
<画像提供:かすが娯楽場>