「新世界は思い出を作る町」新世界で代々、酒屋を経営される上杉店主にインタビュー
今回は、新世界の顔とも言える動物園の前にお店を構える上杉店主にインタビューさせていただきました。
色々なインタビューをさせていただく中で、「思い出」について語っていただくことが多く、今回は、新世界で生まれ育ち、ずっと酒店を経営していらっしゃる上杉さんにインタビューさせていただきました。
子供のころから、今に至るまで新世界の町に感じる、「思い出」を中心に語っていただきました。
上杉さんの子供の頃に感じた新世界の思い出はどのようなものがありますか?
子供の頃は、人の頭を踏んで歩けたくらい人が居ました。
動物園や天王寺公園という存在は、大きいと思います。
小さい時に来てくれたところは一生来てくれはる。
よく新世界は、労働者の街だと言われますけど
私の印象は「家族連れ」の街なんです。
映画館がたくさんあって、「ゴジラ」とか「ガメラ」があってたくさん見に来られる。
東映など、大きな建物は全て映画館で家族連れがたくさん来られてました。
1970年の万博の頃の思い出はありますか?
万博の頃は、大阪は景気が良くて、職人さんもたくさんいてました。
そういうおっちゃんらに私は、通りがかりで頭撫でられたりしてました。
おっちゃんら、歩いてたら知らない間に、パーカーのフードにお菓子を入れられている。
私自身もおっちゃんらから大事にしてもらってたんを感じました。
今の新世界の町に来てくださる方に感じることはありますか?
新世界ははお酒を飲む場所が色々ありますが、
飲みに来た限り、新世界に来た限りは良い思い出で帰って欲しいです。
「町は、思い出を作る場所」
だと思っています。
そこでいい思いをしたらまた、来てくださるし、
嫌な思いをしたら二度と来てくださらない。
意外と新世界は、名古屋や広島から、新幹線を降りてこっちに来てくれる人もいますし
しょっちゅう、地方からも新幹線で降りて来てくれる人いますし。
新世界独特の雰囲気が好きだっている人もいますよね。なぜ、こういう雰囲気があるのでしょうか?
多分、これも西成のおっちゃんらのおかげやと思うんやけど。
おっちゃんらもやっぱり田舎の人。
私の父親の代では、自分でお金の管理を信頼で、預かってなぁ。と言って来られる人もいらっしゃいました。
信頼があるからこそできることだとは思うんですが。
預かっているだけなんですけど。(笑)
飲み代だけで預かっているわけではなく使い道を聞いて、田舎の場合は全部持っていきと、渡します。
そういう田舎みたいな信頼がある所、
この街で商売している人はいろんな人に寛容な気がします。
ただ、やっぱり最低限、街の人たちが困らない形で遊んで頂かないと。
(以下の記事で、新世界で飲む人たちに大切にして欲しいことを語っていただきました。)
新世界に来てくれる人は、なんでかというと、昔の店が何軒か残っているから。
だから、来たら必ず声をかけてくれたりします。
今の時代だと違和感があるかもしれませんが
なかなかそのへんは難しい時代になってきてるかもしれへんな。
上杉さんが、今も強く残る思い出
小さい時に大事にされていたと言う話をしましたが、
うちが経営している立ち飲み屋に来たら、ちっちゃいボンボンが居てるという認識で居てくださる人も多い。
古い店はある程度、残って行って欲しいなと思います。
ここに来たら、うちの店があると。
もし、お客さんとしてうちのお店に入ってこなくても、風景として残っていたいです。
僕のちっちゃい時から来てくださっているお客さんが言い合いをされてました。
「わしゃ、ここの子(上杉さん)が三輪車に乗っている時から来てる。」
「わしゃ、乳母車の時から来てる。」
私としては、
そない言われたら勝たれへん。(笑)
でも、それが新世界やと思う。
今、新世界の飲食店のお客さんはお孫さんが来てくれている。
お爺ちゃんが連れて来てくれて良い思い出があるからお孫さんも来てくれている。
そうやって良い思い出を作ってくれたら嬉しいです。
<インタビューを通じて>
まず、新世界が昔から家族連れの町だと言うイメージは一切なかったので、今回のイメージを聞いて驚きました。
実際に土日には、家族連れがたくさん来られていました。
まだまだ、イメージが一人歩きして、新世界近辺を誤解されている方が本当に多いと思います。
人情みあふれる人がたくさんいる新世界、ぜひ、一度足を運んで素敵な「思い出」を作ってみてください。